僕が幸福オタクになったきっかけは、小中学校で虐められてたことである。
小学4年生の頃に田舎から大阪に引っ越してきた。
田舎の方言が面白かったのか、からかわれ、エスカレートして細い体型をいじられらようになった。
最終的には「ごぼう」というあだ名をつけられて、女の子にもそう呼ばれていた。
とても悔しかったが、数の暴力に抵抗はできず、言い返すことはできなかった。そんな状況で、学校に行きたくなかったが親にも心配はかけたくないのでなんとか学校には通う。毎日が辛くて「なんのために生きてるんだろう」「死にたいな」と思うこともしばしばあった。
それでも、何とか生きてはいたので「今は辛いけど将来は幸せになりたいな」「勝ち組になりたいな」とも思っていた。
ある日、心を許せる友達もいなかったので、自分の何が悪いのだろうとコミュニケーションに関する自己啓発本読んだ。
人とうまく接する100の方法といった内容。今思えば上辺のテクニックだけが書かれていた本だったが、これをやれば何とかなりそうだと思えることが書かれているのは僕には救いだった。
短絡的にも、ここに書かれていることを実践すれば友達ができて幸せに近づけるんだと思った。
その後も心を許せるような友達はできなかったが、自己啓発本を続けて何冊か読んだ。そうして胡散臭い情報を集めて幸せになる努力をはじめた。
友達はできる気がしなかったので、お金を稼ぎ優秀な人間になれば、好きな人と結婚できるようになり、強い信頼を築いて幸せになれるはずという最後の希望も抱いたりしていた。
その後なんやかんやあって、幸福に関する研究を調べたり、関連する本読んだり、それを実践したりして、今ではまぁまぁ幸せになれたと思う。
でもまだ足りない。小学生の頃に僕をいじめていた全ての人間よりは幸福になりたいと思っている。本音をぶちまけるならあの人達には不幸になって欲しいとも思う。
こんな不純な動機で、幸福という状態に固執しすぎるオタクになってしまったのである。